主題
- #優しい人
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- #ナルシスト
作成: 2024-05-04
作成: 2024-05-04 11:22
よく『優しさ』という美徳を強調する人に会う。優しさは、幼い頃から理想的な行動であり、愛され、認められるために不可欠な美徳の一つとされてきた。しかし、年々、果たして優しい行動が本当に私を幸せにするのか疑問に思うようになった。
「まあ、いいか。」
優しさに加えて、「まあ、いいか」という言葉もよく使われる。私もこの考えで、不快なことを我慢することが多かった。しかし、本当に「まあ、いいか」でいいのだろうか?「まあ、いいか」と言う人は、一体誰の立場から「いい」と言っているのだろうか? カルマを信じているけれど、時々「まあ、いいか」が本当に良いのか、迷宮入りしてしまう。
『その人はなぜ謝らないのか』の著者、尹瑞嵐(ユン・ソラム)作家は、与えられた環境で現れる様相は少し異なるだけで、悪質な人々が周囲に害を与える方法は大きく変わらないと述べている。
私はできるのに、あなたはダメだ、というダブルスタンダードな態度。そして、バレバレの嘘も平気で、何事もなかったかのように言うこと。また、問題が起こるたびに、自分は被害者だと主張するなど、ナルシスト、サイコパス、ソシオパスなど、私たちが悪人と言う人々の共通の特徴です。程度の違いはあれど、彼らが人を苦しめるやり方には、非常に大きな共通点があるのです。
-その人はなぜ謝らないのか、尹瑞嵐(ユン・ソラム)、봄에
好き嫌いは別として、私たちは生きていく中で、このような特徴を持つ存在に出会う。そうすることで、「まあ、いいか」ではないこと、そして優しく生きていれば必ず幸せになれるわけではないことを自然と理解するようになる。さらに、悪意のある人々が不利な時に使う優しさという美徳と、「まあ、いいか」という言葉がどのように変化していくのかを知るようになる。
赤いベレー帽をかぶった少女がコンパクトミラーをのぞく(1921年)_ポール・スター(アメリカ人、1883-1953年)
「優しく生きていれば、本当に幸せになれるのか?」
これは、状況によって変わる可能性のある複雑な質問である。優しさは必ずしも幸福に繋がるわけではなく、時には優しさを諦めてでも、自分の権利と原則を守らなければならない時もある。 結局、誰のために、誰に対して優しく生きるかが重要である。
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