主題
- #友人
- #人間関係
- #傷つく
- #絶交
- #共感エッセイ
作成: 2024-06-08
作成: 2024-06-08 10:31
悪意はないのに、時に悪魔のような人もいる。
Frage an die Karten (1889)_Édouard Bisson (フランス人、1856-1939)
-そんなことで、そんなにへこむなよ!
重要なプロジェクトを台無しにして、落ち込んでいるBに対して、Aが励ましの言葉をかけた。しかし、Bにとってそのプロジェクトは『そんなこと』ではなかった。悪意のない励ましだったが、結局Bはかなりの傷を負った。それでも、頑張ってほしいという励ましに、Bは怒ることもできなかった。
『そんなこと』の基準は人それぞれ大きく異なるだろうが、AもBが取り組んでいたプロジェクトが重要であることは分かっていた。分かっていながら『そんなこと』という言葉を使って励ますというのは、楽しい励ましとは言い難かった。
-今日は本当に楽しく過ごしたけど、君は?
普通の日なら、これは単なる普通の安否確認だっただろう。しかし、この日はCの家族が交通事故に遭い、それを知りながらAがCにこのように連絡してきたのだ。Aは温かい安否確認をしたかったのかもしれないが、自分の自慢でもしているかのように、Cにとっては傷つくものだった。
どんなに楽しい一日を過ごしたとしても、わざわざCが良くないことがあったと知りながら、自分が幸せであることをアピールするのは、礼儀に反するのではないだろうか?もちろん、自分がとても幸せで、それを全く隠したくないという自由だと考えているのかもしれないが。
-大変だったね。君は人を見る目がないのかい?
詐欺にあったDに対して、Aが言った言葉だった。人を見る目があれば詐欺には遭わなかっただろうが、人間関係は思い通りにいくものではない。詐欺に遭わないように注意しても、必死に詐欺を仕掛けようとする人間を完全に避けるのは容易ではない。
Aの立場からすれば、二度とこのような不幸な目に遭わないために、人を見る目を養うことが重要だと伝えたい気持ちだったのだろうが、被害者を責めるような言葉をかける必要があったのだろうか?
『もしかしてAは私を嫌っているのかな?』
Aが本当に周りの人を嫌っているのかどうかは分からないが、Aの超ポジティブな心が、結局誰かを傷つけたことは事実だった。気が利かないだけで、悪い人ではないと思っているが、このようなAに傷つき、距離を置いた人もいる。
悪意はないが、あまりにもポジティブにばかり話すことが、すべて良いわけではない。Aの超ポジティブな言葉は、時に輝く励ましとなる一方で、しばしば他者にとって恐ろしい毒矢となる。感情的に非常に辛い状態の人に対して言う言葉としては、皮肉に聞こえる可能性があるからだ。
L’élégante Au Moulin Rouge (1908-09頃)_Édouard Vuillard (フランス人、1868-1940)
悪意がないことは分かっているが、実際に経験してみると『今、皮肉を言っているのか?』という考えを払拭するのは難しい。時に、Aはあまりにもポジティブすぎて、他人が感じるであろうネガティブな感情に全く共感できないのではないかと、そう思ってしまうこともある。
悪意はないのに悪魔のような人、という言葉は辛いが、本当に悪意なく悪魔のような言葉を口にする人もいるので…辛いです。
気が利かないけど超ポジティブな人を友達にするか、それとも距離を置くべきか、より幸せな方を選ばなければならない。たとえ誰かの記憶の中で悪い友達として残るとしても、自分が幸せでなければならない。
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