主題
- #エッセイ
- #自己啓発
- #新たな機会
- #日常
- #日常エッセイ
作成: 2024-05-09
作成: 2024-05-09 13:33
本を読みながらメロンパンが食べたくなったその日。不意にハエと遭遇した。
漆黒の生命体はメロンパンにべったりとくっつき、蠢いていた。ハエは結局、数日前から楽しみにしていたメロンパンとの出会いを灰色に染めてしまった。
その日、メロンパンを手に取ることもなく、さつまいもクリーム食パンを選んだ。
'クリーム苦手なのに。'
家に帰る道。惜しむべきことに、心の片隅には数日ずっと食べたかったメロンパンが残っていた。
Girl at Writing Desk (1927)_Frederick Carl Frieseke (アメリカ、1874-1939)
仕方なく読書のお供にさつまいもクリーム食パンを用意した。クリームがあまり好きではないので、それほど期待していなかったのだが。驚くことに、さつまいもクリーム食パンが口に入ると、いつメロンパンのことを考えていたのかというように、新しい味に夢中になった。
滑稽にも、この些細な瞬間は私に予期せぬ気づきを与えてくれた。
時には、私たちが熱望するものが私たちに適していない場合があり、それを受け入れることが新しい機会の扉を大きく開くことであるということを。
外ではなく、内にある..
一時期、Aを学びたかった。Aへの私の気持ちは、メロンパンへの気持ちと変わりなかった。Aを学ぶためにBの集まりに参加した。しかし、予想していた部分とは全く異なる部分があり、困惑する状況に陥った。Bの集まりの中にハエを発見したのだ。
Aのためにハエに耐えるか、それとも別の道を探すか。
ハエを見て顔をしかめた私は、最初に食べたかった当然のことながらメロンパンではなく、さつまいもクリーム食パンを選んだ。ハエがとまっているメロンパンをどうしても買うことができなかったので。
Strawberries, currants and bread on a pewter platter_Pieter Claesz (オランダ、1596-1660)
滑稽にも、私はメロンパンにハエを見つけたように、Bの集まりでもハエを見つけたのに、無理やり我慢してメロンパンを食べようとしていた。
ハエの入ったメロンパンを選ばないのと同じように、ハエを発見したのだから、Bの集まりから抜け出すべきだった。しかし、私はBの集まりをずっと悩んでいた。
お金は金で、時間は時間で無駄にしたという思いから、悔しさも感じ、ハエのせいで傷ついてしまったので、不安な気持ちもより強く感じた。
しかし、さつまいもクリーム食パンを食べて予期せぬ満足感を感じた時、Bの集まりから抜け出せば、また別の満足感が得られるのは当然だという気づきが自然とついてきた。
それまで目を背けていた問題まで日記に書きながら、これまでの出来事を振り返ってみると、結局、新しい機会の扉を自分自身で開いていることに気づいた。その日、私は機会費用にとらわれず、冷静に見て、何をすべきか明確に決めた。
The witch of Endor_Ferdinand Fellner (ドイツ、1799-1859)
さらに、Bの集まりは運営中、予期せぬ方法で私の日常に良くない影響を与えていた。赤い警告灯が何度も点灯していたのだ。また、お知らせが変更される場合があり、このような点が多少混乱に感じる時もあった。
結局、日常を妨げる混乱は、集まり自体と、これまで私が無駄にしてきたものを振り返らせ、賢明な選択をするのに役立った。
Still Life with Bread (1937)_Sasza Blonder (ポーランド、1909-1949)
ハエの入ったメロンパンを選ばなかったことから学んだことは、時には私たちが望むものが私たちにとって最善ではない場合があり、新しい機会に目を向けることがより良い結果をもたらす可能性があるということだった。
「片方の扉が閉まれば、もう片方の扉が開く。」
最初は期待していたメロンパンも美味しかったかもしれないが、新しい選択であるさつまいもクリーム食パンがもたらす喜びは、想像以上にずっと大きかった。このように 願っていたものが常に最良の選択とは限らず、早い諦めが思いもよらない幸せをもたらすこともある。 このような人生の妙味が、予測不能な面白さと美しさなのかもしれない。
コメント0