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才能がなくても本当に小説家になれるの?

  • 作成言語: 韓国語
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  • その他

作成: 2024-05-30

作成: 2024-05-30 09:05

いくら考えても、才能がやったことではないようだ。
-ファン・ボルム



初の本を出す前に専業作家生活に飛び込み、作家のように暮らしているうちに本当に作家になったファン・ボルム作家。作家は小説を書くことを才能がやったことではないと言う。しかし、圧倒的な人気を誇る『ヒュナムドン書店へようこそ』を見れば、果たして才能がないと言えるのか、疑問を持つ人もいるだろう。かっこつけようと思ってこんなことを言ったのだろうか、それとも本当に楽しんでいるうちに大作が生まれたのだろうか?




才能がなくても本当に小説家になれるの?




『グリット』の旋風的な人気以降、才能神話に対する考え方は多くの人が消滅したように思えるが、依然として多くの人が「才能」に固執している。私も幼い頃から教えられてきた才能神話から解放されたものの、それでも時折「才能」の領域を悩んでしまうこともある。




才能がなくても本当に小説家になれるの?




まだ100年も生きていない人生なので、何が正解なのかはわからないが、才能がないから小説が書けないと言うなら本当に書けないし、才能神話なんか信じないで自分の道を進むと思えば本当に自分の道を進むことになる。それに天才は努力する者を凌駕することはできず、努力する者は楽しむ者を凌駕することはできないという言葉もある。



人間は自ら信じる通りになる
-アントン・チェーホフ



人は結局、自分が信じる通りになる。アントン・チェーホフが言ったように。





▶ 書き始めたのだから、終わりを付けるという考えしかなかった。つまり物語の完成。物語の完成は自分次第なので、自分だけを信じればいいのだ。


▶ その時、私は小説を書くというより、物語を書いていると思った。


▶ 物語を書いていると思えば、できるような気がした。物語、私は物語が好きだから。


▶ 物語を見て読むということは、一人の人生をたどることだった。


▶ 小説を書くことというのは、私にとってこのような遊びの延長線上にあるのではないかと感じる。これまでの遊びと違うのは、今回は自分から始まった物語だったということ。


これまで通り、その物語を思う存分ボールを転がし、様々なバージョンで作り上げてみる。その中で最も気に入ったバージョンを選び、ハングルで書き連ねた過程、ぼんやりとしたイメージを文章で鮮やかに浮かび上がらせたこの過程で、私は小説を書くようになった。いくら考えても、才能がやったことではないようだ。

-ファン・ボルム、『単純生活者』、ヨリムウォン

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