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作成: 2024-05-11
作成: 2024-05-11 09:52
夜明けの静けさは、何にも代えがたい貴重な時間です。
自分だけの世界に没頭し、一日の始まり前に内なる平穏を見つけ、個々の成長を遂げる黄金の瞬間だからです。いや、もしかしたら黄金よりも貴重な時間こそ、目を覚ました直後の時間と言えるかもしれません。
個人的には、夜明けの時間は、他人とのコミュニケーション、特にカカオトークやインスタグラムのようなソーシャルネットワークサービス(SNS)によって邪魔されることを望んでいません。(自主的に作成または参加した集まりは除きます。)
夜明けのカルクスブルクとローダウンの教会の眺め(1842年)_カール・フランツ・ミヒャエル・ガイリング
カカオトークをはじめ、様々なメッセージをいつ送るかは個人の自由です。邪魔になる時間帯にはアラームをオフにすることもできるので、メッセージをいつ送るかは気にしません。しかし、わざわざ夜明けに、それも孤独を楽しめる最も貴重な時間にSNSを見ろと要求するのは、理解しがたい行動です。
夜明けのワーズ河畔(1888年)_ルイ・アエ(フランス人、1864~1940年)
「最近、私の夜明けの時間がめちゃくちゃだよ。」
私と同様に夜明けを好むAさん。ある日、私に悩みを打ち明けてきました。最近知り合った知人が、夜明けの時間に頻繁に連絡をしてくるというのです。
Aさんは最初は、知人の連絡が嬉しかったです。しかし、だんだん不要な雑談が増え、まるで説教をするような小言まで言われるようになり、負担が大きくなったと言っていました。結局、Aさんは知人に丁重に線を引いた後、再び以前のように夜明けの時間を一人で過ごすように努力しました。
「連絡が来ないから寂しい。」
しかし、先日。知人に傷つけられたというような言葉を聞かされ、Aさんは無理やり知人と夜明けに電話までしなければなりませんでした。
その日、Aさんはまた無駄な話で時間を浪費し、やらなければならないことは半分もできませんでした。状況がこうなので、だんだん夜明けの起床すら苦痛になってきたとも話していました。
夜明けのマーン河畔(1888年頃)_アルベール・デュボワ=ピレ(フランス人、1846~1890年)
このように、私たちは生きていく中で、他者から理不尽な要求を受ける瞬間が訪れます。しかも、Aさんの知人のように、傷ついたと感情的な傷を口にする人もいます。
**相手の理不尽な要求はどこまで受け入れなければならないのでしょうか?**
私も、感情的な傷を口にする人に会ったことがあります。最初は相手に申し訳ない気持ちでした。相手に傷つけているように感じて、心がとても不快だったからです。
しかし、**感情的な傷を口実に、嫌だと断っていることを無理強いする人が、本当に私を尊重する人なのか、私が気にかけてやるべき人なのかは、よく考えてみるべきです。**
Aさんは知人に何度も自分の時間が欲しいと言いました。しかし、相手はAさんの言葉を全く聞きませんでした。 コミュニケーションとは、これほど一方的でも良いのでしょうか?それをコミュニケーションと呼べるのでしょうか?そして、無駄に流れてしまった夜明けの時間と集中力は、誰が補償してくれるというのでしょうか?
夜明けのセントビンセント_アルバート・グッドウィン(イギリス人、1845~1932年)
**自分の時間を損すると、本当に損をするのは自分だけです。**
私たちには、貴重な時間を守る権利があります。わざわざAさんの場合でなくても、相手が感情的な傷を口実に理不尽な要求をしてきたときは、当然断る権利があります。
いけにえになる人々は、いつも他人に傷つけないようにと考えます。感情的な傷を負わされたことを利用して、相手はあなたを操ることができます。あなたが自立して行動しようとしたとき、あるいはコントロールから逃れようとしたとき、巧妙にそれを利用します。『感情的な傷』の95パーセントは、本当の傷ではなく、被害者戦略に用いられる材料です。
-ウェイン・ダイアー、『誰もが好きになる必要はない』
**今、あなたのそばに、嫌だと言っているのに、感情的な理由を挙げて無理強いしてくる人がいますか?** もしそうであれば、それは感情的な傷を口実にあなたを操ろうとしているのかもしれません。自分の思うままにコントロールしようとしているのです。
サンアントニオ北部、夜明けのブルーボネット(1915年)_ジュリアン・オンダードンック(アメリカ人、1882~1922年)
私たちは、自分らしく生きるために、筋の通らない要求を断ることを知る必要があります。
相手にとっては、私が自分を傷つけた人であり、取るに足りないことで神経質になっている人に見えるかもしれませんが、気にしないことです。私たちは自分自身のために、相手が不快に思うような悪い選択をするのが正しいのです。自分にとって悪い選択をするよりも、はるかに幸せなことだからです。
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